アセチリド錯体で磁石

 

アセチリド錯体[M(C≡C-R)n](m-n)+)はニトリル錯体[M(N≡C-R)n]m+の等電子体となっており,ある程度似たような性質を示すことが期待されます. ニトリル錯体は分子性磁性体の分野ではしばしば使われる分子で,興味深い磁性や,シアノ基の三重結合と中心金属のd電子による光学特性と磁性がカップルしたような面白い物性を示す物質が多数知られています. しかしながら,等電子配置であるアセチリド錯体を用いた磁性体はほとんど知られていません.これは主に,遷移金属アセチリド錯体の多くが大気中や水の存在下で不安定であることに由来します.

ところが近年,錯体化学者の試行錯誤により,大気中でも安定な常磁性遷移金属アセチリド錯体が各種作られるようになっており,分子性磁性体の構築要素としての可能性は格段に高くなっていると言えるでしょう.


 
近年開発されている大気中でも安定な遷移金属アセチリドの例[1-3]. 左上から順に3/2,1,1/2のスピンを持つ.

そこでこれら安定なアセチリド錯体と,幾種かのジチオレン錯体を組み合わせて磁性結晶の作成を試みていたところ,2種類の分子性の磁石(=自発磁化を示す物質)の構築に成功しました[4].それが[CrCyclam(C≡C-3-Thiophene)2][Ni(mdt)2] (以下"物質1"と表記)と[CrCyclam(C≡C-Ph)2][Ni(mdt)2](H2O) (同"物質2")です. ちなみに[Ni(mdt)2]はこんな形状の分子となります.

物質1の結晶構造はこのようなものです.

S = 3/2のカチオン>[CrCyclam(C≡C-3-Thiophene)2]+S = 1/2のアニオン[Ni(mdt)2]が交互に並んだフェリ鎖がc軸方向に伸びた構造となっています.鎖内の相互作用は,カチオンの窒素分子と,アニオンのニッケルに配位している硫黄分子との間の近い接触を介しており,どちらも磁性金属イオンに配位している原子ですからスピン密度も高く,それなりに強い相互作用が期待されます. 単位格子中には2分子含まれますが,空間群がP21/cですのでユニークな分子は1/2分子となり,またc軸方向に伸びる二つのフェリ鎖は結晶学的に等価です. またカチオン末端のチオフェン環は向きにdisorderがあり,ここを介した相互作用はかなり弱められているものと考えられます. 一方,b軸方向にフェリ鎖同士を結びつける鎖間の相互作用ですが,こちらも鎖内の相互作用と同様金属に直接配位している窒素と硫黄の間の接触でそれなりに強いはずですが,鎖内に比べると若干長めの距離となっているため鎖間相互作用の方が鎖内より弱くなります.

この物質1の磁性を測定すると,χT の値は温度の低下と共に小さくなり,その後より低温で急速に増加するというフェリ磁性に特徴的な挙動を示します. この温度依存をフィッティングしてやるわけですが,その際以下のような式を用います.

まず,鎖間相互作用のないフェリ鎖の磁性は(1)で表されます[5].なお,この際の鎖内相互作用J は(2)のハミルトニアンで定義されるものとします. さて,ここで鎖間相互作用を導入するわけですが,鎖間相互作用が鎖内に比べ十分弱く,また鎖間相互作用が実質的に,大きなモーメントを持つ鎖同士の間に働く古典的な相互作用として近似できるとすると,分子場近似が適用でき,式(3)のように

[3/2-1/2]のフェリ鎖に
「外部磁場Hexと隣接するフェリ鎖からの相互作用を外場と見なしたものHeffとの和」
という磁場がかかっている

という系だと見なせます.このときの隣接フェリ鎖からの影響は,分子場の考え方をそのまま適用して,隣接する鎖の平均の磁化M ,磁気的に相互作用している鎖の本数z と実効的な相互作用の強さJ' を用いて(4)で表されます.これを解いて得られる(5)を(3)に代入すれば,鎖間相互作用を分子場で近似した際のフェリ鎖の磁化が(6)で計算できるわけです. なお,ここで出てくる実効的な鎖間相互作用J'は,分子間の直接の相互作用とはそのままでは対応しないことに注意が必要です.例えば今考えている物質1においては,鎖間での接触はカチオン-アニオン間に存在しますが,ここにローカルな反強磁性相互作用が存在している場合には,実効的なフェリ鎖の磁化間での相互作用は強磁性的になります(異なるフェリ鎖の磁化が同じ方向を向いている=鎖間の実効的な相互作用が強磁性的なとき,あるフェリ鎖のカチオンと,隣のフェリ鎖のアニオンは逆向きとなっているため).

得られた式(6)を用いて実際の物質1の磁化率をフィッティングしたものが以下の図となります.

鎖間の相互作用を入れない緑の線は実測と大きく異なっていますが,分子場で鎖間相互作用を入れてやった赤の線は実験値を良く再現していることが分かります.このときの相互作用の強さは,鎖内が2J / kB = –6.1 K,実効的な鎖間相互作用が2J' / kB = +0.26 K(ただしz = 2とした)となりました.

1.8 Kでの磁化過程は下図のようになります.2μBS = 3/2と1/2の差)まで磁化が急速に立ち上がり,その後緩やかに磁化が増加するという典型的な[3/2-1/2]フェリ磁性の挙動です.

この磁化過程,ヒステリシスループが見えていませんので一見まだ転移していないようにも見えますが,交流磁化率を測定してやると2.3 Kあたりに周波数に依存しないχ 'のピークがあり,フェリ磁性へと転移していることが明らかとなりました.従って物質1は世界初の遷移金属アセチリド錯体からなるフェリ磁性体になります.また転移点以下であるにもかかわらず保磁力が測定値以下であることから,非常にソフトなマグネットです.

カチオンの配位子を,エチニルチオフェンからフェニルアセチレンに変えてやると物質2が得られます.こちらの構造は,カチオンとアニオンが並んだフェリ鎖,というところは物質1と似ているのですが,鎖間の相互作用が決定的に異なってきます.まず結晶構造ですが,カチオン-アニオンからなるフェリ鎖がb軸方向へと伸びています.

鎖間の相互作用は,a軸方向に隣接するカチオンを水素結合によって架橋する水分子を介したものです.この水分子が占める場所は,結晶の対称性がP-1であることから隣接する2サイト(下図の二つの赤い球の位置)が考えられますが,両方を占有するにはサイト間が近すぎるため,実際には個々の水分子自体はこの二つの等価なサイトのうち一方をランダムに占有しています.このため,結晶全体では水分子は二つのサイトを同じように占有,結晶はP-1の対称性を持ち隣接するカチオン間には反転中心が存在するのに対し,局所的に見てやると水分子は一方のサイトのみを占有するため対称性は破れ,カチオン間の反転対称も存在しません.このことが磁性に大きく影響してきます.

物質2の磁性は高温域では鎖間相互作用のないフェリ鎖で良く表すことが出来ますが,3.7Kで転移を起こし,その温度以下では小さな自発磁化を示す弱強磁性体となります.この物質のちょっと面白いところは,この転移が単一の転移ではなく,二段階の転移となっている点です.なお,転移が二段であることは交流磁化率においてピークが二つ明確に確認できることから確実です.まず最初の転移は3.7Kに起こり,この温度以下で弱強磁性を示します.ここから温度を下げていくと自発磁化は徐々に大きくなるのに対し,保磁力は0.8mT以下という非常に小さな値のまま,ほとんど変化しません.そして温度が2.9Kに達すると二段階目の転移が起こります.この転移以下でも弱強磁性は保たれ,また自発磁化の増加もほぼ変わらず進行しますが,それまではほぼ一定だった保磁力が,この二段階目の転移以下の温度では急激に上昇し,1.8Kではおよそ12mTに達します.ただ,現時点ではこの二種類の転移が何に対応するのかの詳細は謎のままです.

この弱強磁性の起源ですが,弱強磁性は1イオン異方性,Dzyaloshinsky-Moriya相互作用,フラストレーションの効果,のいずれかによって生じることがほとんどです.そこで今回の場合ですが,まず相互作用のパスは単純ですから,フラストレーションは含まれません.また,単位格子中に1/2分子しか存在しませんので,1イオン異方性が効いてくる余地もありません.そんなわけで,残る最後のDzyaloshinsky-Moriya相互作用が今回の弱強磁性の起源となります.

通常ですと,今回の結晶はP-1の対称性のため,鎖間相互作用を担っている2つのカチオンは反転対称の関係にあり,Dzyaloshinsky-Moriya相互作用はちょうど打ち消されてゼロとなってしまいます.しかしながら,この物質2は局所的には水分子のサイト選択性のために結晶全体から予想される対称性とは異なる対称性を持っており,隣接カチオン間に反転中心が存在しません.そのためDzyaloshinsky-Moriya相互作用が許容となり,弱強磁性が発現しているのです.

 

[1] D.L. Grisenti et al., Inorg. Chem., 2008 47, 11452.
[2] V.V. Krivykh et al., J. Organomet. Chem., 1996, 511, 111.
[3] C. Bianchini et al., Organomet., 1990, 9, 2514.
[4] J. Nishijo et al., Inorg. Chem., 2009, 48, 9402.
[5] J.S. Miller and M. Drillon, Magnetism: Molecules to Materials vol. I, Wiley-VCH.