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20. 生物模倣っぽい超分子型触媒によるポリマー合成

"Artificial Molecular Clamp: A Novel Device for Synthetic Polymerases"
Y. Takashima et al., Angew. Chem. Int. Ed., in press (2011).

現代の化学/科学はようやく生体内の化学に追いついてきており,各種の反応機構を解明できたり,時にはそれを上回る反応を開発したり,という事が可能なまでになってきている.とは言え向こうは膨大な数と時間によるbrute force attackで自然界を相手取ってきた百戦錬磨の存在であり,その化学的特質にはまだまだ学べる点,我々にインスピレーションを与えてくれる点が存在する.

さて,単純な小分子から長大なポリマーを合成する重合触媒は,現代社会において無くてはならない存在であり,PE,PP,PETなどといった身の回りの各種プラスチック類の製造に重要な役割を果たしている.さて,こういった重合反応を行う触媒においては,

  • 出来るだけ常温・常圧近くで十分速く反応が行く
  • 高収率で反応が進み,重合度が高い
  • 副生成物が少ない
  • 安定性が高い
などといった特性が求められる.生体中の重合触媒は,こういった特性の中でも「常温・常圧で反応が良く進む」という点と「副生成物が少ない」という部分で非常に優れているものが多い.また,最近流行のグリーンケミストリー的観点からも,水中で有機反応を効率よく進めることが出来る生体触媒はなかなか魅力的な存在となる.

生体中の触媒がなぜこのような特性を持っているのかといえば,それは触媒となる酵素が非常に効果的に重合が進むような構造をしているからである.その一つの特徴として,DNAやRNAポリメラーゼ(これらはテンプレートも使うが),セルロース合成系などのポリマーを作る酵素は,まず原料となるモノマーをトラップしやすく,かつそれらの分子を活性化して反応しやすくする部分(A,つまり実際の触媒として働く部位)と,出来上がったポリマーを保持するクランプ部分(B)の二つを持つ.Bによってポリマーの末端が常にAのそばに保持されることで,Aによって活性化されたモノマーは迅速にポリマー末端に結合し,ポリマーの重合が効率よく進むわけだ(重合後は1分子相当スライドすることでまた元の状態に戻る).
今回の論文は,このような構造をまねた重合触媒分子となる.研究グループが阪大の原田先生のところであることから予想がつく通り,シクロデキストリンを用いた超分子系である.

実際に触媒として用いられている分子は,シクロデキストリンと呼ばれるブドウ糖がリング状に数分子重合した分子である.リングの内側は疎水性となっており,各種有機分子がトラップされやすく,疎水性の長鎖分子だとビーズ(シクロデキストリン)にヒモ(長鎖分子)を通したような超分子構造(複数の分子が,弱い相互作用により結びついた複合構造体)をとりやすい.重合しているブドウ糖の数によりα(6分子),β(7分子),γ(8分子)の接頭字が付与され,リングのサイズもこの順に少しずつ大きくなっていく.今回報告されているのは,このシクロデキストリン2分子を,リングの端っこで一箇所架橋した分子( ○__○ というような構造)が高い触媒活性を持つ,というものである.重合して行く分子はδ-バレロラクトンという環状分子で,これが開環重合してポリマーとなる.

そもそも,βシクロデキストリンがこの重合触媒としての活性を持つこと自体は知られていたが,その変換効率は非常に低いものであり(10%程度),出来上がるポリマーも非常に短かった.著者らは生体分子が「活性点-保持するクランプ」という2つの構造からなることを参考にし,βシクロデキストリンとαシクロデキストリンを架橋した分子を作成した.前者が開環重合の触媒となり,後者のリングの内部に出来上がったポリマーが入って保持されることでクランプとしての役割を果たすわけである.
この分子を用いて重合反応を行うと,変換効率74%と,βシクロデキストリンの10%に比べ非常に高い効率で重合反応が進み,さらに出来上がるポリマーの長さも5倍程度と長くなっていた.一方,単にαとβシクロデキストリンの分子を混ぜただけの場合では変換効率やポリマー長に変化はなく,この両者が架橋されてある距離にあることが重要であることがわかる.実際,架橋する分子を変化させて両者の間の距離を変化させると7-8Åぐらいの距離で活性が一番高くなることから,この二つの分子の空間的な配置の重要性が確認出来る.
では,実際に出来上がったポリマーはαシクロデキストリン内に保持されているのだろうか?これに関しても,NMRを用いた測定から実際にポリマーがαシクロデキストリン内に保持されていることを確認している.さらに,あらかじめ数分子が重合したオリゴマーをこのシクロデキストリン複合分子にトラップしておき,
 
(a)末端がβシクロデキストリンに保持され,オリゴマー本体がαシクロデキストリンの輪の中に存在する状態
(b)aの複合体をDMSOで処理することで,末端はβシクロデキストリンに保持されているが,オリゴマー本体はαシクロデキストリンの輪から外れた状態
 
の2種類を作成,それぞれをスタートにして重合反応を行うと,(a)の場合では高い変換効率と長いポリマーが得られたのに対し,(b)の場合では効率が低く短いポリマーしか得られないことが確認されている.このことから本分子においては,生体中の重合酵素と同様に,活性点の近くにポリマー末端を保持するクランプ部位が重要な働きをしていることがわかる.

最終的な変換効率としてはそんなに高いわけではなく,この触媒自体が非常に優れているというわけではないが,全体構造をうまく設計することで触媒特性を向上させた分子触媒,という指針はなかなかに興味深いものがある.(2011.7.11)

 

19. 高温・溶融状態でも安定な電子化物

"Solvated Electrons in High-Temperature Melts and Glasses of the Room Temperature Stable Electride [Ca24Al28O64]4+·4e-"
S.W. Kim, T. Shimoyama and H. Hosono, Science, 333, 71-74 (2011).

電子そのものが一種の陰イオンとなり,その周囲に他の分子が配位することで安定化された溶媒和電子と呼ばれるものが存在する.代表的には液体アンモニア中にアルカリ金属などを放り込んだ際に出来るものがあり,活性の高い自由電子が存在するため非常に高い還元性を示す.
陰イオンとしての電子を含む系はelectride(電子化物)などと呼ばれ,例えばアルカリ金属を包接したクラウンエーテルを陽イオン,電子を陰イオンとした結晶などが知られている.しかしこのような化合物はそのほぼ全てが不安定であり,高温で安定に存在する系は知られていなかった.
さて,東工大の細野先生(最近は鉄系超伝導で知られる)が2003年に新たな電子化物を報告している.基本的には12CaOと7AlO3(C12A7:O2-),つまりはセメントからなる結晶であり,通常の酸化物としてはCa,Al,Oからなるケージの中心にO2-が保持された構造をしている.これを強還元状態で作成するとケージ中央の酸素がいなくなり,そのかわりにケージ内に「電子」がトラップされた電子化物(C12A7:e-)として得られるわけである.作成条件(酸素濃度)をコントロールすることで電子が充填されたケージの個数を変えることが可能であり,電子密度が増えると絶縁体,ホッピング伝導,金属伝導と連続的に変化していく.
今回,このC12A7:e-を高温に加熱し溶融したところ,溶融状態やそれをクエンチしたガラス状態においても溶媒和電子状態が安定に実現していることが報告されている.

まず,C12A7:e-を昇温していくと伝導度が低下する金属的挙動を示した後,およそ1500Kで融解する.融解後,伝導度は低下するものの,以前1-10S/cmとかなり高い伝導度が維持されている.この融解したサンプルを急冷すると,ガラス状の固体が得られる.この状態での電気伝導度はT-1/4に比例し,バリアブルレンジホッピングによる伝導,つまり電子が局在したサイトが存在し,その間をホッピングにより移動していることが示唆される.
吸光度の測定では,ガラス状態においても溶媒和状態の電子の存在を示す吸収が見られ,その量は溶融前とほぼ変わらない.このことから,溶融状態においてもケージ構造とその中に保持された電子という骨格はそのまま残存している事がわかる.
一方,ESRではシグナルが観測されるものの,その絶対量は当初の電子の量(および吸光測定から予想される電子の量)から見ると数%程度である.これは,電子が強く反強磁性相互作用で結ばれた非磁性の電子対を作っていることを示唆する.
このことから,C12A7:e-は溶融状態において電子を内包したケージ二つが連なったひょうたん型(というか何というか)の構造は維持したまま他の部分がばらばらになることで溶けており,溶媒和状態の電子は高温の溶融状態においても安定に存在していることが判明した.そしてこれを冷却/クエンチすると,溶媒和電子はそのままに全体の構造が凍り付き,電圧を印加すると電子はホッピング的に移動しているものと考えられる.

これほどの高温で電子化物が安定に存在できるというのは大変驚くべき事であり,C12A7:e-のケージ構造がかっちりしていて他の原子種が内部の電子にアクセスできないという特徴が活かされたものとなる.(2011.7.4)

 

18. 斥候を使ったドラッグデリバリーシステム

"Nanoparticles that communicate in vivo to amplify tumour targeting"
G. von Maltzahn et al., Nature Mater., in press (2011).

および,その解説記事

"Nanomedicine: Swarming towards the target"
Y. Wang, P. Brown and Y. Xia, Nature Mater., in press (2011).

ドラッグデリバリーは,標的に対し薬物を集中させる手法により,受動的(パッシブ)ターゲッティングと能動的(アクティブ)ターゲッティングに大きく分けられる.
前者は薬剤そのものには特異的な相互作用は存在しないが,癌組織では血管組織が非常に雑なつくりになっていることを利用する.高分子は通常血管を通り抜けにくいが,癌組織では血管が急造されることにより壁面に隙間があり,高分子が抜け出しやすい.一方,そうやって浸潤した物質を回収する経路であるリンパ管は未発達であることから,血管中に高分子を投与すると,それらは次第に癌細胞へと蓄積されていく.そこで,長時間安定な分子として抗癌剤の前駆体を投与し,癌組織に蓄積された後じわじわと分解して抗癌剤へと変化する,といった事が可能になる.これが受動的ターゲッティングを用いたドラッグデリバリーであり,すでに実用化が行われている.しかしこちらは,腫瘍への蓄積が遅い,十分蓄積されるまでに他の組織にダメージを与える事がある,などの問題もある.

一方の能動的ターゲッティングは,癌細胞において通常細胞よりも異常に多く発現しているタンパクと特異的に結合する分子を薬剤と結合し,薬剤を能動的に癌組織に集合させる,という手法である.これはなかなか有効ではあるが,そもそも癌細胞で特異的に発現しているタンパクが少ないことなどから,薬剤の集積率を上げるのが意外に大変,というところがある(といっても,設計によっては結構有効ではある).

今回の論文で報告されている新しい手法は,人間が元々持っている免疫系などにおけるシステムを模倣した,斥候-本隊型の方法となる.要は,先に投入した斥候が標的を見つけシグナルを出し,それをめがけて本隊が殺到するようなものである.仕組みは以下のようになる.

まず,斥候となる,シグナルを出す物質を用意する.今回は,受動的ターゲッティングとなる金ナノロッドと,能動的ターゲッティングとなる癌に結合するよう修飾したタンパクの2種類でそれぞれ実験を行っている.これらを少量投与すると,能動的・受動的な違いはあれ,癌組織にこれらの「斥候」が蓄積される.その後,金ナノロッドの場合は赤外線(これは皮下にまで浸透する)を照射すると金の表面プラズモン吸収により赤外線を吸収して発熱,周囲の組織に傷を付ける.するとこの傷を塞ぐために,血液凝固反応と呼ばれる一連の複雑なカスケード反応が誘起され,大量のフィブリン(凝固して血管の傷を塞ぐ主役のタンパク)および凝固因子XIII(フィブリンを安定化する)が周辺に蓄積される.タンパクを用いた場合は,この血液凝固反応を直接誘引するような部位を付けておくことで同じ事を引き起こす.
つまりこれら「斥候」は,生体が元々持っている血液凝固系を利用する事で,癌細胞のわずかな特異性を増幅し,大量のフィブリンや大量の因子XIIIといった検出しやすい形に変換する役割を持つ.

次に,このフィブリンもしくは因子XIIIに反応する本隊の投与である.どちらに反応するかは何で化学修飾するかで決められるので,お好きなように.用いているのは,表面を修飾した磁性ナノ粒子列や,脂質二重膜からなる球体内部に抗癌剤を閉じ込めたものである.これらはフィブリン(もしくは因子XIII)に結合するように修飾されているので,前述の「斥候」によって強くマーキングされた腫瘍にどんどん集まる.磁性ナノ粒子であればMRIなどでの造影剤として使えることから,癌組織の検出に用いることが出来る.抗癌剤を閉じ込めたナノ球体であればじわじわと破裂して癌組織内で抗癌剤をまき散らす.

新しいアイディアの例に漏れず,これまた実際に実用化されるまでには非常に時間がかかると予想されるが,アイディアとしてはなかなか面白い.(2011.6.20)

 

17. ゼンマイ仕掛けの未来

"Superstrong Ultralong Carbon Nanotubes for Mechanical Energy Strage"
R. Zhang, et al., Adv. Mater., in press (2011).

さて,エネルギーを貯めておく,というのは現代社会において非常に重要な事である.大規模なものだと揚水発電や巨大フライホイール,中・小規模なら電池,他にも燃料の形で保存しておく事もあるだろう.
さて,ナノマシン,マイクロマシンを作ることを考えた場合,最適なエネルギーの貯蔵方法は何だろうか?電池はかなり難しい.というのも電池を構成するにはかなり多様なコンポーネントが必要で,小さなところに組み込むには相応の努力が必要になる.化学的エネルギー?確かに素晴らしい.天然のマイクロマシンである細胞やその中のタンパクが化学エネルギーを用いていることからわかる通り,これはなかなかに優れた貯蔵法である.が,しかし,今回話題になるのは力学的なエネルギー貯蔵である.

力学的にエネルギーを貯めるのは,いくつかの利点がある.
まず,エネルギーが直接動作として取り出せること.エネルギーの形態を変換する必要が無い分,コンポーネントは小型化できる.
次にエネルギー密度が高くできること.実は力学的なエネルギー貯蔵は非常に高効率かつ高密度に出来る(ただしいくつか条件があるが).
まあそんなわけで,今回著者らが検討したのはカーボンナノチューブをエネルギー貯蔵に使うとするとどんなもんだろう?というものである.カーボンナノチューブは非常に丈夫であり,かつ硬い.つまり,引っ張って伸ばしたり,曲げたりすると非常に大きなエネルギーを蓄えることが出来る.要するにゼンマイになるわけだ.そこで著者らは,カーボンナノチューブの変形でどの程度までエネルギーが蓄えられるのかを測定した.

さてその手法である.まず,非常に長く欠陥のほとんど無いナノチューブを用意する.今回用いているのは,三層のマルチウォールカーボンナノチューブで,太さが2.9-3.2nm程度,そして長さはなんと10cmのものになる.知らなかったのだが,最近ではカーボンナノチューブも20cmぐらいまでなら伸ばせるらしい.これをSiO2の基板に乗せるのだが,この基板,途中にいくつか0.75mmの幅の切れ込みが入っている.ナノチューブはこの部分では宙に浮いた状態となるわけだ.
そしてここに,TiCl4と水蒸気を吹き付ける.TiCl4は水が存在すると迅速に加水分解し,TiO2とHCl(こちらは気化して飛んでいく)になるが,この時生成したTiO2はナノチューブの周りで成長し,カーボンナノチューブという糸で繋がれた数珠のようになる.この生成した粒子のサイズはおおよそ0.2から1μmであり,ナノチューブ1mmあたり1000個ほどがぶら下がる.直径たったの3nmの糸に,これだけ大きな粒子がぼこぼこ付いていても平気なのだから大した強度だ.
(無論,サイズが小さくなると断面積より体積のほうが急速に小さくなるので,見た目ほど重くはないのだが)

さて,出来上がったナノチューブ・粒子複合体は,大きな粒子が付いていることから光学顕微鏡で観察できるサイズとなる.ここにガスを吹き付ける.すると,断面積の大きな粒子が付いているため,これが抵抗となって流速に応じた引きずり力を生じ,ナノチューブをぐっと引っ張る.どの程度力がかかっているかは粒子の平均サイズと個数,ガスの粘性,流量から計算可能であり,その時のナノチューブの伸びといった変形は顕微鏡で観察できる.著者らはこれらの数値を利用し,ナノチューブの力学的強度と,その破断までに蓄えられる力学的エネルギーを測定したわけだ.

その結果,実験に用いたナノチューブはおおよそ引っ張り強度が最大200GPa程度,ヤング率が1.34TPa,そして破断時までに17.5%の伸びが観測された.ここから,ナノチューブを引っ張ることで蓄えておけるエネルギー密度を計算すると1100Wh/kgに達することが明らかとなった.このエネルギー密度は一般的な内燃機関に近く,リチウムイオン電池やフライホイールより1桁上,いわゆる「ゼンマイ」の4-5桁上のエネルギー密度となる.ちなみにガソリンそのものの燃焼熱と比べるとおよそ1/10だ.さらに,108回以上の曲げ伸ばしにも耐え,非常にサイクル特性が良い. もちろんこれを大型の装置用のバッテリ代わりに使うわけにはいかないが,マイクロマシンなどの動力源として利用できる可能性は十分ある.(2011.6.15)

 

16. 金太郎飴式超長ナノワイヤ(とナノチューブ)製造法

"Arrays of indefinitely long uniform nanowires and nanotubes"
M. Yaman et al., Nature Mater., in press (2011).

ナノワイヤというのは様々な利用が期待されている(一部はすでに利用されている)が,その製造にはまだまだ限界があると共にコストがかかる.
ナノワイヤの製法は,(他のナノ素材と同じく)主にトップダウン法とボトムアップ法に分けられる.トップダウン法では,例えばリソグラフィなどによって直接ナノワイヤを削り出したり,そのようにして作ったナノ構造を鋳型にしてナノワイヤを転写する.しかしこれはかなりコストがかかり,バルク量を使用する「素材」として考えると量産性に欠けるという欠点がある.一方のボトムアップ法では,自己組織化による自発的なナノワイヤの形成や,溶液中で1次元構造をとるミセルなどをテンプレートとした手法がある.こちらは溶液を利用したバルク量のプロセスにも適用できある程度の量産性はあるが,サイズにばらつきが大きかったり,といった問題がある.
また両手法とも,長さに関してはせいぜいμmからmmのオーダーが限界に近く,日常的に使うような長大な繊維というようなものを得るのはなかなか難しい.

今回紹介されている新手法は,こういったこれまでの欠点を一気に克服し,数十メートル以上の長さと数十nm程度の細さを両立したナノワイヤーを,それこそキログラムやトン単位で生産できる可能性を持った画期的な手法である.

その手法はどんなものであるか?まず概略だけ述べよう. 芯にナノワイヤ化したい素材,それを取り囲むようにプラスチックで被覆したワイヤーを用意する.この段階では太さはミリのオーダーで構わない.
次に,このワイヤを熱しながら引っ張ってのばす.すると全体構造を保ったまま細く引き延ばされる.この細くなったものをまた束ね,もう1-2回同じプロセスを繰り返す.そうするとついにはナノサイズにまで細くなり,一方長さは数十mにまで引き延ばされる.あとはプラスチック部分を溶かせば,超長大なナノワイヤが山ほど得られる.溶かさなければナノワイヤアレイとしての利用も出来るだろう.
つまり,我々日本人に実に身近なものに喩えれば,「金太郎飴の製法と同じ」と言えるだろう.
#似た様な手法は光ファイバなどの線引きでも行われているので,金太郎飴の専売特許というわけではありません.

そんなわけで,この衝撃的な論文である.
単純に,束ねて熱して引く,を繰り返すだけで均一で恐ろしく長いナノワイヤやナノチューブがいくらでも得られる.例えばナノワイヤの場合As2Se3の14nm径のナノワイヤが得られているし,内部を空洞にしたPVDFチューブを引いていくことで20nm程度の空洞を持ったナノチューブも得られている.
もちろん,熱して柔らかくした状態で引っ張るため被覆材と同程度の低融点(というか低軟化点というか)の材料にしか適用できないという欠点はあるが,それでも超長大なナノワイヤをいくらでも作れる点は魅力的だ.
例えば彼らは光伝導性のSeを本手法でナノワイヤアレイ化し,その明/暗電流のon/off比が2桁ほど改善する様子などを報告している.これは体積に対する表面積が増し,光が当たって導電性を発現する部分の比率が高まったことに由来する.
何にせよ,これだけ簡便な手法で,今まで無かったほど長いナノワイヤが得られるというのは注目に値する.(2011.6.14)

 

15. 人工ハニカム格子における2次元モット・ハバード状態

"Two-DImensional Mott-Hubbard Electrons in an Artificial Honeycomb Lattice"
A. Singha et al., Science, 332, 1176-1179 (2011).

いわゆる古典的な金属では電子の非局在性が強く,その状態は物質全体に広がったブロッホ状態を起点にして考えるのが適切である.しかしその一方,銅酸化物超伝導系や有機導体などでは電子の局在性が高く,各サイトに局在した電子が一定の比率で隣のサイトへ移動し,同一サイトに2電子が存在すると強い電子間反発が働く,というハバード模型を利用した方が状態を簡便に表すことが出来る.ハバード模型では,サイト間の移動に比べ同じサイト上でのクーロン反発が強くなるとバンドが二つ,同じサイト上に電子がいる状態からなる高エネルギーのバンドと,そのような状況を避ける電子からなる下のバンドにスプリットする.

今回報告されているのは,2次元電子ガスの系に周期的なポテンシャルを入れることで人工的な格子を作り,そこに磁場を印加することで局在性をコントロール,局在性が高くなるとハバードギャップが開く,というものである.
サンプルはGaAsの表面にAl0.1Ga0.9Asを乗せたもので,この上部レイヤーはハニカム格子状のドットとして一部で高く盛り上がっている.この盛り上がっている部分の下では2DEGのエネルギーが下がるので,電子系について考えると弱い束縛ポテンシャルがハニカム状に存在している2次元系と見なすことが出来る.
ここに磁場を基板に垂直に印加すると,ランダウ準位を形成することで電子はよりいっそう束縛されることになる.磁場が強くなるほどランダウ準位の電子の束縛半径は小さくなるので,そのサイト上ではより強い電子間反発Uが実現する,つまり磁場によってハバードモデルにおけるパラメータUを調節することが出来る.
この系に対し垂直に光を入射し,非弾性散乱されて透過してくる光を観察することで電子のエネルギーを調べている.
その結果,弱磁場領域では単一だった状態が,強磁場になると分裂を起こす様子が観測された.この時見えているギャップはハバードギャップであると考えられる.

通常の系ではUなどのパラメータを後からコントロールすることは難しいが,今回報告されている手法なら連続的にパラメータを変えながら電子系の振る舞いを測定することが出来,様々な利用が期待できる.(2011.6.13)

 

14. 燃やしてみたらグラフェンだった

"Conversion of carbon dioxide to few-layer graphene"
A. Chakrabarti et al., J. Mater. Chem., in press (2011).

燃え滓を見てみたらグラフェンでした,という論文……と書くと見も蓋もないが.

近年,火星探査時の燃料にMgが使えるのではないか,という話が出てちょろちょろと研究が進められている.よく知られるように,火星には(薄いけど)大気があり,その主成分は二酸化炭素である.こいつを酸化剤に使えれば,地球上で燃料を燃やすのと同じようなことが出来,場合によっては便利,となるわけだ.
さて,二酸化炭素は炭素-酸素間の結合が強いため,ここから酸素を引きはがして燃焼するものとなるとかなり限られる.その数少ない元素の一つがマグネシウムだ(他にアルミなどもあり,特性的には一長一短).マグネシウムを燃料として搭載した小型航空機を火星に送り込み,大気の二酸化炭素で燃焼させながら飛ぶことで広い範囲を探査できるのでは,というわけであるが……その話は置いておこう.

さて,そのような考察がされていることからわかる通り,Mgは二酸化炭素中で燃焼する.反応式は単純に

2Mg + CO2 → 2MgO + C

で,酸化マグネシウムと煤が出てくる.これ自体はよく知られており,場合によっては中学・高校あたりで「二酸化炭素中でも燃える」というデモ実験として利用されている.

著者らは,ドライアイスの器に火の付いたMgリボンを投げ込み,上からドライアイスの蓋をし放置,燃え滓を酸で洗ってMgOを取り除き,電顕で観察した.するとそこにいたのは幅50-300nm,厚みが数層のグラフェンの山.……単層じゃないものをグラフェンと呼ぶ点に関して突っ込むのは,あまりにも普及してしまった使い方なのであきらめる.

著者らがなぜそんなものを電顕で見てみようと思ったのかはよくわからないが,この手の「見てみたら面白い構造でした」という報告は意外にある.特に,X線やらに引っかからないよくわからない粉末は,ちょくちょくナノワイヤーだったりナノカプセルだったりもっと変な構造だったりするので,暇があって手近にSEM,TEMがある人はいろいろ見てみると面白い発見があるかも知れない.(2011.6.8)

 

13. 電位によって力学的強度をコントロールできる物体

"A Material with Electrically Tunable Strength and Flow Stress"
H.-J. Jin and J. Weissmüller, Science, 332, 1179-1182 (2011).

電場などの外場で自在に特性を変えられる物質が存在したならば,その応用性は非常に高い.例えば柔らかくした状態で自在に加工して,電位を振って硬化させることで何かに利用する.利用しているうちに外力によって脆くなってきたら再度柔らかくして歪みを取り除き,また硬くして利用する,などといった事も出来るからである.鉄などの金属材料の加工は似た様なことを温度でやっているわけであるが(加熱して柔らかく,冷やして硬化),温度変化というのはなかなか大変であり簡便ではない.

本論文で報告されているのは,電位を振ることによって硬さをコントロールできる物体である.といっても現状そのまま利用できるものではない.何せ材料は純金であるので高価だし,そもそもの強度もそれほど高くないためだ.しかし,この新しい概念をうまく発展させれば,何か面白い素材が出来るかも知れない.

さて,著者らが扱っている物体は樹状構造(というか3次元の網目構造というか)の金である.作り方は,まず銀と金を適度な比率で混ぜアーク溶融で急速に加熱して混合.銀に比べ金はイオン化しにくいので,適度に電解をすると銀原子だけがイオンとして析出し,金原子が再配列しながら残留することで金の樹状構造体が生成する(こういった腐食の仕方自体は非常によく知られている).
今回著者らが注目したのは,このようにして生成した金の樹状構造体と,過塩素酸HClO4(というかそこに含まれる過塩素酸イオン[ClO4]-)との相互作用である.
金の樹状構造体に過塩素酸を含んだ溶液を染みこませ,電圧をかける.ある程度高い電位に設定すると,金表面に[ClO4]-が吸着した構造が生成し,逆に閾値以下の電圧ではこのイオンがとれて金の表面が回復する.

この[ClO4]-がくっついたときと外れたときの強度を調べると,実はくっついたときの方がおよそ30%ほど「硬い」事が判明した.また,イオンがくっついていた時の方が脆く,あまり塑性変形せずに壊れてしまう.そしてこの変化は可逆的であり,電位を上げたり下げたりすることで何度でも「硬くて脆い」状態と「柔らかくて変形できる」状態を行き来させることが出来る.
さらにこの効果はイオンを含む溶液を取り除いても残存する.[ClO4]-を含んだ溶液中で電位をかけイオンを吸着させ,そのまま純水で十分洗浄してから乾燥させる.この時,吸着したイオンはそのまま表面に吸着しており,乾燥後も硬い相を維持している.つまり理想的には,イオンを含まない柔らかくて変形可能な状態で加工しておき,溶液中で電位をかけることでイオンを吸着させ硬化,そのまま乾燥させることで望みの形状を持った硬いマテリアルとして使う,という事が可能になるわけだ.

この「硬くなる」メカニズムに関しては完全に明らかになっているわけではないが,以下のようなものではないかと想定されている.まず,塑性変形などの変形は結晶の欠陥(線欠陥,面欠陥)が外力によって移動することで進行する.この時表面にイオンが吸着されていると,そのイオンとの相互作用により欠陥がトラップされ移動しにくくなり,結果として結晶全体での変形を抑制する=なかなか曲がらず硬い,ということだ.ナノワイヤーなどの研究から,結晶の欠陥の移動を阻害するものがあると硬度が上がるという事はわかってきているので,これはありそうなメカニズムである.

現状,使っているのが金と言うことで高価かつやわらかすぎるためこのまま利用するのはさすがに無理であるが,このアイディアを利用する事で新しい機能性材料---機能を外場でコントロール可能な材料---が開発されるようになると面白い.(2011.6.6)

 

12. グラフェンを用いた超小型光変調器

"A Graphene-based broadband optical modulator"
M. Liu et al., Nature, 474, 64-67 (2011).

CPUなどの高速化に伴い,I/O周り,さらにはチップ間通信などまで光化してより高速なデータ転送を実現しよう,という流れがある.そうなった場合,光発振,受光,そして光変調器(発光の高速on-offは難しいので,高速伝送時には光は連続発振させておき,それを電圧で光の吸収をコントロールできる光変調器で高速にon-offすることで信号を作り出す)などをチップ上に作り込む事が重要となってくる.
この手の技術に関してはIntelが非常に力を入れており,Siベースのレーザーやら受光器やらをやたらと発表している.しかし光変調器に関して言えば,SiベースのものはSiと光との相互作用が非常に弱いことから小型化が難航しており(電場による吸収変化が小さいので,十分なon/off比を付けるには長い相互作用パスが必要),かといってある程度小型化が出来る化合物半導体系などはSiプロセスとの相性が悪い,といった問題を抱えている.さらに言うならば,化合物半導体系などの材料を用いて小型化が出来ると言っても依然として光変調器部分のフットプリントは数mm2程度有り,他のデバイスに比べるとまだまだ大きい.

さて,今回の報告はグラフェンを使うことで光変調器の作成と小型化に成功した,というものである.グラフェン特有の電子構造をうまく使っており,巷にあふれる「とりあえず薄い導体なら何でも良いけど,グラフェン使ってみました」というようなものとは一線を画すまっとうな利用と言える.

グラフェンの電子構造を考えたとき,その最大の特徴はゼロギャップ半導体である,という点にある.こういった電子構造のため,ほんのちょっと電場をかけてフェルミエネルギーをずらしてやれば,例えばちょっとフェルミエネルギーを下げれば価電子帯にホールが生じてp型の伝導体になるし,逆にフェルミエネルギーをちょっと上げてやれば伝導体に電子が注入されn型の導体になる.
さて,ここでグラフェンの光吸収を考える.光吸収では,フォノンが関与しない場合(直接遷移.吸収が大きい),バンド構造で垂直に励起する.つまり,ある波数を持った価電子帯の電子が,そのまま真上の伝導帯に励起して光を吸収する.この前提の上で,まず電場も何もかかっていない状況=ゼロギャップ半導体のケースを見てみる.

価電子帯のバンド構造は上に頂点を向けた円錐である.この電子が励起されて真上に上がると,空の伝導帯(形は同じく円錐で上下方向が逆)に必ず対応する準位が存在する.この時,価電子帯の頂点近傍の真上は(ゼロギャップ半導体であるため)伝導帯の底であり,そのエネルギー差は小さい.つまり,この部分の電子は低いエネルギー(赤外など)で励起可能な電子である.そしてこの電子は直上に空の伝導帯があるから,光を吸って直接励起=吸光度の大きな吸収が可能である.従って,ゼロギャップ半導体状態での赤外波長での光吸収は非常に大きい.

次に,ゲート電圧なりなんなりでフェルミ順位を下げた,つまり円錐状の価電子帯の頂点付近から電子が除かれた状態,を考える.この時励起が可能なのは,新たなフェルミ準位,つまり価電子帯の頂点からだいぶ下がった位置にいる電子である.従って,垂直励起に必要なエネルギーはかなり大きくなる.このため,ゲート電圧をかけると低エネルギーの光は吸収できなくなる,つまり赤外光などはグラフェンをすり抜けるようになる.
これを使うと,ゲート電圧を印加する,しないでグラフェンの赤外吸収を大きくon-off出来ることがわかる.今回の論文はこれを利用している.

素子としての構造はまず,基板の上に薄くSiを乗せる.一部にSiを厚めに乗せ棒状の構造(長軸方向は基板に平行)をつくり,ここを導波管とし内部を光が通り抜ける.この上にアルミナの絶縁膜をつくり,さらにその上にグラフェンを乗せ,導波管の上からはみ出したグラフェンはエッチングで削る.そしてグラフェンは電極に繋ぐ.
導波管の幅は600nm,厚みは250nm,長さは約40μmとなる.この光変調素子自体のフットプリントは25μm2であり,現在の素子(数mm2)と比べると1/100程度と劇的に小さい.
グラフェンが光を吸収する場合,導波管から漏れ出た電場と相互作用することで光を吸収する.そうでないなら光は導波管内をそのまま進んでいく.光としては波長1.35-1.6μmあたりの赤外光を用いた.

このような素子で実際にゲート電圧(グラフェンに直接印加する電圧)をon-offして実験したところ,1.2GHzのスイッチング速度・2-4V程度の比較的低い駆動電圧で,3dB(on/off比で2倍)のスイッチングが実現された.スイッチング速度を規定しているのは各所の寄生容量で,グラフェン自体の易動度的にはさらに2桁程度は上が狙えるはずである(ただし寄生容量への対処は必ずしも簡単ではなく,実際の限界はやってみないとわからない).

現時点でスイッチングの性能的には化合物半導体系などの既存材料に近いような(といっても上回っているわけではないが)値が出ている一方,そのフットプリントは劇的な減少を達成しており,グラフェンを利用した光変調器の可能性の一端が確認出来る.
現時点ではグラフェンを直接チップ上で作り込む事は出来ておらず,一度別な場所で作ったものを機械的に転写,不要部分を通常のエッチングプロセスで取り除くという方法をとっているため,この手法が本当に実用にまで持って行けるかどうかにはわからない点も多い.今後の展開に期待したい.(2011.6.3)

 

11. 蚊のCO2センサーを長時間活性化する分子

"Ultra-prolonged activation of CO2-sensing neurons disorients mosquites"
S.L. Turner et al., Nature, 474, 87-91 (2011).

蚊は様々な伝染病を媒介し,また単純にうっとうしくもあることから,何とか奴らが寄ってこないようにしよう,という試みはそれこそ有史以前から行われてきたし,今でも多くの研究が行われている.
よく知られるように,蚊はCO2を探知して動物や人に接近するので,この感覚器を何とか誤魔化せばよい.例えばこの感覚器を麻痺させる薬剤であれば人間を探し出せなくなるし,逆に強く刺激する薬剤なら蚊を引きつけるトラップに使える.実際,ドライアイスやCO2のボンベ,ガスの燃焼などを使った蚊の捕獲機が利用されている.しかしCO2は毒性が高い上に取り扱いも面倒であることから,もっと手軽な手法の開発は常に望まれ続けている.
今回,電気生理学的手法を用いたスクリーニングで興味深い反応をもたらす化合物の発見が報告された.

蚊に作用する化合物を発見する場合,一番単純な手法は蚊を(沢山)持ってきて各種物質の気体を吸わせて影響を見る,というものである(実際昔はそうやって研究が行われていた).しかしながら,何せ蚊の行動はふらふらしているので影響がわかりにくいし,沢山の蚊を毎回準備して実験をするのも大変である.そこで最近は,電気生理学的手法が用いられる.これは近年の生理的な研究では欠かせない手法で,反応を調べたいレセプター(今回の場合なら蚊のCO2感覚器)を取り出し電極を繋ぎ,様々な物質に曝すことで起きる電位変化を見てやる,というものである.感覚器が反応すればパルスが生じるので,生じる電位の回数や強度から反応が電気的に読み取れる.
さて,著者らがそのような手法で様々な有機分子の影響を調べていたところ,2,3-butandioneがこの感覚器に過剰かつ長時間の興奮を引き起こすことを発見した.通常の刺激なら,その刺激を取り除くと秒の単位で感覚器の興奮は納まるのだが,2,3-butandioneに関しては数分間も過剰興奮が続くのである.しかもこの間はいわば感覚器が励起しっぱなしでほとんど飽和してしまうため,通常のCO2に対する応答はマスクされてしまってほとんど起こらない.
この結果,2,3-butandioneに曝された蚊は人間や動物を感知することが出来ず,特に当てもなくふらふらと飛び回るだけとなる.また彼らは,2,3-butandioneと1-hexanol,1-butanal,1-pentanal(これらはいずれも感覚器をマスクする効果がある)のカクテルを作用させると効果が10倍程度になることも見つけ出した.3種類のマスク剤でCO2への感度を落としておいて,さらに2,3-butandioneで反応を飽和させることで何も感知できなくなるらしい.
またこれとは別に,2-butanonがかなり強く蚊を引きつける事も見出している.これらを元に,著者らは
・2,3-butandioneカクテルを人のそばやドア・窓の近くで用い,蚊の感覚を麻痺させることで家の中や人の近くに寄ってこないようにする
・さらに近傍に2-butanonを噴霧するトラップを設置し,そこに蚊を集中させ捉える
という利用を提案している.なお,今回用いられている物質はそのままでは人体にも有害であるため,これらの構造を元に無害な化合物を開発する必要がある点には注意が必要である.

今でもアフリカや赤道に近いアジア各国では蚊の媒介する伝染病は猛威をふるっており,蚊に対する対策の重要性は高い.今回の研究が何とか新たな薬剤開発に繋がってくれれば良いものだが.
どうでも良いことだが,著者にケニアの人ってのは初めて見たかも知れない.やはりアフリカだけあって蚊への対策は重要なのであろう.(2011.6.2)

 

10. ナノギャップを持つ金ナノ粒子を用いた表面増強ラマン散乱

"Highly uniform and reproducible surface-enhanced Raman scattering from DNA-tailorable nanoparticles with 1-nm interior gap"
D.-K. Lim et al., Nature Nanotech., in press (2011).

コントロールされたサイズのナノギャップを持った金ナノ粒子をつくり,それを用いてSERSを観測した,というものである.

まず,金ナノ粒子を作る.その表面に,末端をチオール(R-SH)で修飾したDNAをくっつける.
さて,こうして出来上がった「表面をDNAで覆われた金ナノ粒子」に,再び金イオンと還元剤を作用させることで,金をさらに成長させる.
しかしナノ粒子の表面はほとんどがDNAで覆われてしまっているため,金は少しだけ残った隙間から伸びていき,DNAの上を覆うように成長して行く.
そうして出来上がるのが,中心が金の球,その上にDNA(と隙間)の1nm程度の厚みの層,最外部に金の球殻(条件によっては,不完全で一部に穴あきのものも作れる),という構造である. この粒子は,内球と外殻が共に金で,その間が1nmのナノギャップとなっている.つまり,この隙間にトラップされた分子は,強烈なSERSの効果によって非常に効果的に分光が行えるはず,なわけである.

現段階ではテストとしてあらかじめラマン活性な分子を組み込んでナノ粒子を作っているが,そこではおよそ108から1010弱程度の増強効果が見られた.
また,このナノギャップを持った粒子の収率は非常に高く(∼95%),応用を見据えた場合かなり有利である(ナノギャップ系は,作るのに手間がかかったり,収率が悪いものも多い).
これだけ選択的に,広いナノギャップ構造を持った金ナノ構造体が作れるというのはなかなか良い.(2011.5.31)

 

9. 化学修飾グラフェンの超音波を用いた簡便な製法

"Sonochemical Preparation of Functionalized Graphenes"
H. Xu and K.S. Suslick, J. Am. Chem. Soc., in press (2011).

グラフェンは高い熱伝導性や強度,電気伝導性といった優れた特性を持つ.こういった特性を複合材料に取り込むことで優れた材料を作ろうと,各種ポリマーなどに混ぜ込んだ材料が検討されている.そのような利用を考えた場合必要なのは,十分な分散性を備えた化学修飾グラフェンを,安く大量に作る手法である.

今回報告されているのは,超音波を用いることで化学修飾とグラフェンの作成を同時に行うという手法.グラファイトをスチレン溶液に入れ超音波をかけると,1から数層の厚みのグラフェンが剥離すると共に,各所にスチレン(の重合体)が結合し分散性の高いグラフェンを得る事に成功している.
20kHz,50W/cm2の超音波をAr雰囲気下0 ℃で2時間照射することで投入したグラファイトの10%程度がグラフェンとして剥離した.得られたグラフェン-ポリスチレン系はその重量のおよそ2割がポリスチレンとなっている.
いくつかの有機溶媒で比較しているが,このような製法がうまくいくためにはビニル基を持つ分子を溶媒として使う必要があるようである.

超音波処理と言うことでどれだけ大量に作ることが出来るのかはよくわからないが,ワンステップで手軽に作れることから少量が必要な場合にはお手軽でよいかも知れない.(2011.5.26)

 

8. 極性分子を用いたEDMの探索-電子は丸いのか?-

"Improved measurement of the shape of the electron"
J.J. Hudson et al., Nature, 473, 493-496 (2011).

電子は電荷-1とスピン1/2を持つ点粒子である……古典的な量子論の範囲では. しかし素核の分野にまで踏み込むと,実は電子にはもうちょっと複雑な特性が出てくる.量子力学では,(エネルギーが足りなくとも)短時間であれば他の粒子の生成-消滅が起こっていても構わない.電子においても,電子が(真空から仮想的に出現した)他の素粒子と相互作用するパスがいくつも考えられることから,周囲にそういった仮想粒子をまとわりつかせながら存在しているようなものである.
さてここで,電子はスピンというベクトル量を持つ.という事はある方向zが定義できて,+z方向と-z方向は必ずしも等価でなくても良い,と考えられる.という事は,前述の出現する仮想粒子の分布に偏りがあっても良いのではないか,という考えが出来るわけだ.ある正電荷を持つ仮想粒子が+z方向に出現する確率が高く,別な負電荷を持つ仮想粒子が-z方向に出現する確率が高いということはあり得ないのだろうか?もしそういうことがあれば,「電子」という,古典的には負電荷のみを持つ点粒子だと考えられていた存在に,永久双極子モーメントが出現することとなる.これが電子の電気双極子能率(Electric Dipole Moment,EDM),もしくは永久電気双極子能率(permanent EDM)と呼ばれる現象である.
このEDM,今まで検出されたことはないが,検出しようという試みは非常に多く行われている.というのも,まず第一に,このEDMが存在することは時間反転対称性の破れの直接的な検出となるからである.

CPTの定理という,Charge(電荷),Parity(鏡映対称),Time(時間)全てを反転すると物理現象は全く区別が出来ない,というものがある.これはかなり基本的なところから出てくるので,まず破れてはいないだろうと思われている.
その一方,まずP対称性が破れていることが明らかとなり(つまり,我々の世界を丸ごと鏡映対称をとったような世界は存在しない.一部の現象で鏡映対称な現象が許されないことが明らかとなった),続いてこれは大丈夫だろうと思われていたCP対称(電荷を反転し,鏡映もとる)ですらごく一部の現象で破れていることが明らかとなった.
CPTが破れておらず(と信じられ),CP対称性が破れているならば,T対称性も必ず破れていないといけない.という事は,我々の世界と,時間を反転した世界の区別が付くことを意味しているとともに,この対称性の破れが,時間がなぜ一方向に流れているのか?とか,なぜ反物質がほとんどいないのか?といった疑問に答える突破口になるのではないかと期待されている.ところがCP対称性の破れから間接的にT対称性の破れは示唆されるものの,T対称性が破れた現象は今のところ見つかっておらず,何かT対称性の破れた出来事はないか,と探索されている状況である.
さて,ここで,話をEDMに戻す.時間を反転しても,電荷分布は変わらない.その一方,スピンの向きは逆転する(スピンは自転に似たものなので,時間を反転すると逆回転になる).もしEDMが存在するなら,その双極子の向きはスピンによって規定されているはずである(なぜならスピン以外に電子には「特定の方向」を示すものが無いから).その一方,時間反転をとるとEDM=電気双極子=電荷分布は変化せず,スピンの向きは逆転しないといけない.これは互いに矛盾するので,時間反転で同じ状況に戻ることが出来ない,つまり時間反転対称性の破れの直接的な検出になるわけだ.

EDM検出の重要性の二つ目は,EDMの大きさが理論によって大きく異なる事である.現在までに確立している素粒子論,いわゆる標準模型では,EDMはほぼゼロと見なせるぐらい小さな値が予言される.これは現在の実験技術で検出可能な量より10桁以上小さく,検出は事実上不可能である.
その一方で,超対称性理論などの標準模型を超える理論の多くでは様々な新種の粒子が導入され,電子はこれら未発見粒子も仮想粒子として周囲にまといつかせていることが示唆される.そしてそれらを含めて計算すると,電子(やクォークなどの素粒子)のEDMの大きさは,標準模型より何桁も大きいという予想が得られている.つまり,EDMを検出すると言うことは,標準理論を超えた新しい理論の必要性を実験的に示すことにも繋がるわけだ.逆に,非常に高精度の実験でもEDMが検出されなければ,新理論に対する制限はどんどんきつくなっていき排除される理論も増えることになる.

さて,そんなEDMの探索だが,手法は基本的には電場中での歳差運動を用いる.
量子論的な粒子の波動関数は位相を持ち,この位相は時間変化する.何らかの手段でこの粒子のエネルギーを上げ下げすると,それに応じて位相の変化速度は速くなったり遅くなったりする.さて,この粒子がスピンを持っていて弱い磁場中に存在する場合,そのスピンの向きは歳差運動をするのであるが,この歳差運動の回転速度は位相の変化に影響される.そのため,粒子のエネルギーが上がったり下がったりすると,スピンの歳差運動も速くなったり遅くなったりするのである.
そこで,まずは粒子に磁場(というかパルスの電磁波というか)をかけてスピンの向きを揃え,そこに弱い磁場をかける.続いてその粒子に強烈な電場を印加すると,ごくごく弱いEDM(これは電気双極子のため,電場中でエネルギー差が生じる)と電場の強さの積に応じて粒子のエネルギーが変化し,歳差運動の周期が変化する.一定時間後にどのぐらいスピンが回転していたかを見れば歳差運動の大きさがわかり,それを電場の有無で比較してやれば電場によるエネルギーの変化がわかり,そこからEDMの値が計算できる,というわけである.

さて,EDMが非常に弱いことを考えると,検出を容易にするにはものすごく強烈な電場をかけるのが最も手頃である(変化は電場の強さとEDMの積に比例する).ところが人間がかけられる電場の強さは限界がある.そこで今回の論文が用いているのが,分子の内部分極を使う,という手法である.
今回の実験で用いられているのはYbFであり,価電子がFにかなり寄ってYb+-F-に近い状態となっている.1Å程度と非常に接近している原子間距離でこれだけの分極が生じるため,局所的な電場の強さはとんでもなく強い.おおよそ10GV/cm以上と言われているが,これは実験的に印加可能な100kV/cm程度を大きく上回る(つまり,それだけEDMを検出しやすくなる).この分子自体の内部電場が,分子の中の電子のEDM(存在するならば,だが)と相互作用し,スピンの歳差運動に影響を与える,と期待されるわけである.また詳細は省くが,Ybのような重原子では内殻電子における相対論効果が効いてくるので,さらに100-1000倍ぐらい検出が容易になる(重ければ重い方が良い).

というわけで実験しましたよ,という結果であるが,これまでの報告より1.5倍程度精度良く観測できたが,いまだにEDMは検出されなかった,という結果である.
(今後実験の改善により今後さらに精度は上がっていくと思われる)
そんなわけで,今のところまだ電子は丸い.なかなか丸くない姿を見せてくれないもんである.

標準理論を超える実験事実は長いこと出てきておらず,(EDMに限らず)実験精度が上がるごとに各種の「新理論」はどんどん厳しいパラメータ領域へと撤退に次ぐ撤退を余儀なくされている.果たして本当に万物理論は存在するのか?それは今検討されている超対称性理論や弦理論などの先に存在するものなのか?理論物理の人々にはなかなか厳しい時期が続いている.(2011.5.26)

 

7. 電気二重層を用いた超伝導の発現

"Discovery of superconductivity in KTaO3 by electrostatic carrier doping"
K. Ueno et al., Nature Nanotech., in press (2011).

電気二重層を用いたFET構造によるキャリアドーピングは,通常のFET構造では絶縁破壊が起こってしまい印加できないようなゲート電場を作用させることが可能であり,より高いキャリア濃度を実現できる.この論文では,化学的ドーピングでは低キャリア濃度までしか実現できず,通常のFETでは単なる金属にまでしかならないKTaO3に電気二重層FETによるキャリア注入を行い,超伝導を発現させることに成功したというものとなる.

KTaO3はSrTiO3と同じ結晶構造・バンド構造を持ち,SrTiO3と同様にキャリア注入による超伝導が期待される系であった.しかしながら,Taが5価で非常に安定なことを反映し,酸素欠陥などによるキャリア注入はごく狭い領域でしか成功せず,超伝導の発現には至っていなかった.
今回の報告では,溶液としてイオン液体のDEME-BF4を用い,ゲート電位として2.7-5V程度を印加することでこれまでより1桁他程度高いキャリア濃度(1021 cm-3)を実現,およそ50 mKでの超伝導転移を観測した.

電気二重層FETによるキャリア注入や,それによる超伝導の誘起自体はすでに既知の現象であるが,化学的ドーピングや通常のFETでは引き出せなかった超伝導相を電気二重層FETで実現して見せたことは,本手法が場合によってはこれまでの手法の限界を打ち破るものであることを実証しており印象的な実験である.(2011.5.24)

 

6. ナノカプセル化による硫黄の電極としての利用

"Porous Hollow Carbon@Sulfur Composites for High-Power Lithium-Sulfur Batteries"
N. Jayaprakash et al., Angew. Chem. Int. Ed., in press (2011).

リチウムイオン電池の電極材料としてはこれまで,正極にLiCoO2(Liの半分が抜けるまで利用可能,その際の理論容量140mAh/g),負極にグラファイト(理論容量370mAh/g)が用いられてきた.これらはすでに実容量が理論容量にかなり近いところに来ており,容量を増やすにはもはや電極材料を変更するしかない.負極に関しては近年,SiやSnがLiとの合金(Li4.4Si)になる反応を利用する事で,理論容量が4200mAh/g(Si)だの1000mAh/g(Sn)だのという材料を使う目処が立ち,実用化フェーズに入っている.
その一方で正極材料に関してはあまりブレークスルーはなく,NiやMnの酸化物を使うことで安定性を増すだとか,高価なコバルトの使用量を減らすといった方向がほとんどである.例えば最有力の次世代正極材料はLiFePO4であるが,これは大電流充放電が出来る,燃えにくいと言った特徴はあるものの,理論容量自体は170mAh/g程度でありCo系とそれほど大きく変わらない.

さて,そんな正極材料であるが,かなり以前から大容量化の期待の星とされる材料がある.硫黄である.S + 2Li → Li2S という反応を考えると,理論容量は1700mAh近くに達し,現在使われているCo系の10倍にもなる(ただし電圧が落ちるので,エネルギー容量としては7-8倍程度).しかも元素はとにかく豊富であり,劇的に安い.
と,このように優れた特徴がある硫黄であるが,現在でも利用されていないのには理由がある.まず一つは導電性がない,という事.つまりそのままでは電極材料に出来ない.例えばすでに実用化されているナトリウム硫黄電池(NaS電池)などでは,溶融状態にしてこれを解決するという手段をとっているが,そのために電池を高温に維持しなければならない.一度冷えてしまうと外部からエネルギーを与えて温めてやらないと電池としても働かない.もう一つの問題は硫黄のオリゴマー(硫黄原子が数個数珠つなぎになったような分子)の生成である.硫黄は適当な数の原子が化合した分子となって遊離する性質がある(環状分子のS8など).このため,電極の一部が小分子となって電解液に溶け出し反対の電極へ移動,そこで酸化還元を起こしまたもとの電極に戻ってきて……と,本来なら充放電に使わないといけない電流を内部で硫黄分子がぐるぐる回ることで無駄に消費してしまうのである(shuttling).

今回の論文では,この問題を解決するために炭素球殻で覆う,という事が行われている.これは導電性が極端に低い次世代負極材料であるLiFePO4において使われている手法とまあ似ている.まず直径200nm程度のシリカの球状ナノ粒子を作る.その表面に石油ピッチを付着させ,焼き出すことでグラファイト化,その後シリカを溶かし出すことで炭素球殻が得られる.この球殻を硫黄蒸気にさらすと,硫黄原子が微細な穴から内部に浸透し,球殻内に硫黄が閉じ込められたナノ粒子が得られる.これを固めて電極材料として使うわけである.
硫黄の伝導性の低さは外殻のグラファイト状炭素が補う.そして微細な穴があいた球殻に閉じ込めることで,硫黄が溶け出て行くことを抑制し,その一方でリチウムイオンが入ってくることは出来るようにしている(リチウムイオンの方が小さいので通りやすい).こうして出来上がった炭素-硫黄系は,およそ重量の70%程度が硫黄となる.

充放電特性であるが,0.1C(1時間で容量の1/10が充電される電流)での充放電時には容量は840mAh/g程度(炭素の重量も含める),1Cで520mAh/g程度,3Cで300mAh/g弱であり,100回の充放電後にも95%程度の容量を維持していた. 球殻をリチウムイオンが透過しないといけない事から高速充放電時には急激に容量が低下するが,ゆっくりとした充放電ならば現在のCo系正極の6倍程度を実現している.なお,この電極は,リチウムイオン電池の電極として使うのが良いのか,NaSのようにLiS電池として使うのが良いのかはまだ何とも言えないところ.

まあまだいろいろ解決をしなければならない点はあるのだが,NEDOなどでも硫黄系正極材料は注目していることもあり,これからも様々な研究が出てくることであろう.(2011.5.21)

 

5. 人工スピン系による量子系シミュレーション:ファインマンの夢の実現に向けて

"Quantum annealing with manufactured spins"
M.W. Johnson et al., Nature, 473, 194-198 (2011).

固体物理と統計力学とは深い繋がりがある.固体中で起こる様々な物理現象は多数の粒子に由来する統計的な性質が多く,そのメカニズムを知ったり解析するためには統計力学が欠かせないからである.一方,統計力学は情報処理と非常に繋がりが深い.例えばノイズを含む画像からの元画像推定であるとか,各種最適化問題など多くの問題は,イジングスピン系(個々のスピンがある特定の2方向,+zもしくは-z方向しか向けないというモデル.向く方向を1と0に対応づけられる)の最低エネルギー(=基底状態)を求める問題に変換出来る.

さて,このようにして最適化問題を量子系の性質に置き換えたとして,実際に計算するためにはどうにかして基底状態を求めないといけない.ところが基底状態をきっちり求めるのは非常に困難である.ではどうやってこれを解決するのかと言えば,通常は物性物理/統計力学で開発された手法を利用する.これらの分野では昔からスピン系の基底状態を何とか計算しようというモンテカルロ的な手法がいくつも開発されている.そのため,最適化問題を一度スピン系の問題に置き換えてしまえば,似た様な手法が使えるわけである.

そんなわけで,現在のところ,スピン系の基底状態(磁性体において,スピンがどう配列しているのか)を求めるためには,様々な数値計算でスピン系を模擬的に扱いその最低エネルギー状態を探索することとなる.しかしスピン系の基底状態を求める問題は(確か)NP困難であり,実際の系の様子をある程度反映できるような巨大なスピン系(計算量が膨大)の基底状態はなかなか求まらない.
では,他に手段はないのだろうか?
実はある.まあ誰でも考えつくものではあるが,はっきりと大勢に向けてそれを述べたのはファインマンが最初であろう(量子コンピュータのアイディアの嚆矢とされる).要するに,

・対象とする量子系と同じ振る舞いをする,でも観測しやすい巨視的な系があればよい

ということである.例えばスピン系を例にとろう.100*100*100の3次元のスピン系の基底状態を厳密に計算で求めるのはほぼ不可能である(というか10*10*10でも21000個の状態を計算する必要があり馬鹿正直な計算は出来ない).しかし,もし手元に「スピンと同じ振る舞いをする何か」があり,「相互作用を任意に設定できる,その何か同士の間のジョイント」があったとする.そうすれば話は簡単である.その「何か」を100*100*100個用意して,現実の系に対応する相互作用の強さで結ぶ.後は温度を下げるなり,相互作用を一定の比率で増やす(相互作用/温度 でスケールされるので,どちらでも同じ)なりすれば,系は勝手に基底状態に落ちていく.基底状態にまで落ちたら,後は個々の「何か」がどちらを向いているのか見てやれば,基底状態のスピンの様子がわかる.
「物理現象の直接の測定や数値解析が難しいから,同じ振る舞いをするアナログコンピュータ作って電流測ろうぜ!」みたいなもんである.
また一方,前述の通り情報処理における難問の多くはスピン系の基底状態探索問題へと置き換えられる(ただし束縛条件を実現するために,相互作用の形が非常に複雑な形になる).ということは,こういった量子系と同じ振る舞いをする計算機があれば,現在難問とされる各種問題がスパッと解ける(温度を下げると,勝手に解と同じ配列に収束してくれる)わけである.

さて,いつものごとく,残る問題は「作るだけ」だ.構想から30年ぐらい経とうというのに,まだまだ終わりは見えていない.
ところが今回,ここに大きな発展が報告された.それが今回の論文である.
彼らはまず,計算のためのbit(今回のこれも一種の量子コンピュータなので,quibitである)として超伝導リングを用いている(正確に言えば,途中にジョセフソン接合を持つrf-SQUID素子).このリングには円環電流が流れる事が出来,右回りに電流が流れるのか,左回りに流れるのかで0/1を実現できる(qubitとして働く).
またこの電流は円状に流れているわけだから,それぞれ下向き/上向きの磁場を伴う.人工的なスピンのようなものである.
ではこの「人工スピン」間の相互作用をどうするか?

実は著者らは少し前に,こういったrf-SQUID間にさらにカプラーの役割をする超伝導リングを入れることで,複数の超伝導リング間に相互作用を持たせることに成功している(Phys. Rev. B, 80, 052506 (2009)).超伝導リングの作る磁場をカプラーが捉え,それを反対側の端に送ることで別の超伝導リングに磁場を印加.この磁場が,超伝導リングが作る磁場と相互作用することで,どちら向きの円環電流が安定かが変わってくる.さらに(詳細は省くが),このカプラーに電圧を印加することで,相互作用の強さであるとか符号(つまり,カプラーで連結されている二つの超伝導リングを流れる電流が同じ向きが安定なのか,逆向きが安定なのか)を変えることにも成功している.

今回,著者らはこのqubitである超伝導リング8つ(4個*2列の8個)と,それを結ぶカプラー,qubitに任意に磁場をかけられるコイルをチップ上に集積し,その挙動を研究した.カプラーによるqubit間の相互作用のパス自体は,1列目のqubit(#1,3,5,7)からは全ての2列目のqubit(#2,4,6,8)に結ばれている.例えば#1は#2,4,6,8と相互作用可能で,#6は#1,3,5,7と相互作用出来る.が,とりあえず簡単のため,以下の実験では全体が一列に並び,かつ相互作用のパスは隣接する番号間でのみ存在するように設定されている.つまり,1-2-3-4-5-6-7-8と結ばれており,「-」で示した部分にのみ相互作用が存在する.
まず,qubitに磁場をかけず,途中の相互作用は全て強磁性的(隣接するスピンが同じ方向の時安定)に設定する.
そうすると(当然ではあるが),少しの時間の後で系は↑↑↑↑↑↑↑↑もしくは↓↓↓↓↓↓↓↓と全て同じ方向に向いた状態へと到達した.
続いて,相互作用は強磁性的であるが,両端のqubitに対し逆向きの磁場をかける.つまり#1は↑が安定であるが,#8は↓が安定になる.このように設定してしばらく待つ,という試行を何度もやり統計を取ると,系は
↑↑↑↑↑↑↑↓
↑↑↑↑↑↑↓↓
↑↑↑↑↑↓↓↓
↑↑↑↑↓↓↓↓
↑↑↑↓↓↓↓↓
↑↑↓↓↓↓↓↓
↑↓↓↓↓↓↓↓
という,1つのドメインウォールを持つ,等しいエネルギーの7つの状態のいずれかに等確率で落ち込んだ.
この状態から右端以外の全てのqubitに磁場をかけ(右端だけは↓が安定になる磁場をかけたまま),↑が安定となるようにする.そうすると,上記7状態はもはや等価ではなく,一番上の
↑↑↑↑↑↑↑↓
の状態が最安定となるはずである.そして実際,実験においてもそのような状態に落ち込んでいることが確認された.

この実験でさらに重要なのは,このような状態間の緩和が(十分低温においては)非古典的な遷移であったということである.十分低温の時,この円環電流が反転するためにはポテンシャル障壁を越えないといけない.そのため,古典的な緩和過程だけだと,低温において反転速度が急速に低下するはずである.
しかし実際には,ある温度までは反転速度が低下していくものの(ここより高温では,熱アシストの古典的な反転が素早く起こる),それより低い温度では一定で温度に依存しない電流(スピン)の反転が観測された.これは,超伝導リングの円環電流がちゃんと量子トンネリングで反転している(ポテンシャルの山を越えない=熱アシストではないから,温度には依存しない)事を意味している.
この系をコンピュータとしてみた場合,十分低温では量子アニーリングが成り立つような系となっているわけである.

まだまだbit数は少ないとは言え,スピン間の相互作用を任意にコントロールしながら基底状態を探索できるシミュレーションシステムが完成したことの意義は大きい.またその緩和過程が量子アニーリングであると言うことは,温度を極低温に下げていく必要がある基底状態探索においても十分な状態間の遷移速度があることを意味している.基底状態を探索するには,数多くの状態間を遷移しながら,最低エネルギーへと落ちていく必要がある.ところが古典的緩和過程だけだと,肝心の基底状態が非常にmajorityになる低温において,緩和時間が延びすぎて計算時間(基底状態に落ちるまでの時間)が長くなる可能性があった.ここがきちんと量子緩和が成り立つような系が作れた,という点もなかなか意義深い.(2011.5.13)

 

4. 持続生残型細菌に対する新たな処方

"Metabolite-enabled eradication of bacterial persisters by aminoglycosides"
K.R. Allison, M.P. Brynildsen and J.J. Collins, Nature, 473, 216-220 (2011).

抗生物質は医療における革命であり,細菌感染症に対して目を見張るような成果を上げてきた.しかしその一方で,一部の(なのかどうかは知らないが,少なくとも一部の)細菌は抗生物質や免疫系の働きで生存が難しくなるようなストレスが加わると,集団の一部がpersister(日本語訳はよくわからないが,持続生残型細菌?)と呼ばれる休眠状態へと変化する.この状態では細菌は増殖も活動も行わないが,非常に高い生存性/薬剤耐性を持つ.特に抗生物質に関しては,細菌の代謝の一部を阻害することで作用しているため,そもそも代謝を行わないこの休眠状態の細菌集団に関してはほとんど無力となる.
こうして生き残ったpersisterは,その後状況が改善され生存が容易な条件が整うと活動を再開し増殖を開始する.これは治療の上では非常に大きな問題となり,一見完治したように見えても時間をおいてまた発病したり,妙なところで生き残っていた細菌類から感染が広がったり,といった事を引き起こす.
よく知られる例で言えば例えば結核菌がそうであり,治療後も非常に長期間休眠状態の結核菌が生き残り,子供の頃に感染した結核が老人になってから再発,といった事を引き起こしている. 今回報告されたのは,このようなpersisterに対して有効打となり得る処方である.

これまでに行われた研究で,抗生物質の中でもアミノグリコシド系抗生物質はpersisterに対して弱いながらも効果があることが知られていた.そこで著者らはそこを出発点とし研究を行った.
そもそもアミノグリコシド系抗生物質は,プロトン勾配の存在によって細胞内に取り込まれることが知られている(ただしメカニズムの詳細は不明).プロトン勾配は,細胞が代謝によってエネルギーを生み出し,そのエネルギーを使って細胞膜内のプロトンポンプを駆動しH+を輸送することで生み出されており,pHの調整や,プロトン勾配を用いた他の分子の輸送などに関わっている.

そこで著者らは,persisterのプロトンポンプを駆動できればプロトン勾配が作れ,それによってアミノグリコシド系抗生物質が取り込まれるようになり,persisterに対しても殺菌能力が生まれるのではないか,と考え,様々な糖類との同時投与を試みた.そこでまず培養した細菌に対し投与した結果,グルコース,マニトールなどいくつかの糖類とアミノグリコシド系抗生物質の同時投与により,細菌の生存率を(抗生物質単独投与時の)1/1000以下にすることに成功した.このとき,プロトンポンプを阻害する薬剤を同時に投与すると殺菌効果がなくなることから,投与した糖類によりエネルギーが生み出され,それがプロトンポンプを駆動し,アミノグリコシド系抗生物質が細胞内に輸送される,というモデルが支持されている.なおこの際,どうも細胞内部のどれかの代謝サイクルも活性化され,そこにアミノグリコシド系抗生物質が作用することで殺菌効果を発揮しているらしい.
(細菌自体はまだ増殖を開始していないので,その前段階の一部サイクルの活性化のみの段階で効果を発揮している)

著者らは続いてマウスを用いたin-vivoでの実験を行った.マウスに細菌を感染させ,その後に抗生物質のみ,もしくは糖+抗生物質の三種を投与したところ,同時投与の場合には抗生物質だけに比べ1-2桁ほど細菌の残存数が低下した.このことは,糖+アミノグリコシド系抗生物質の同時投与によってpersisterによる細菌の残存を防止し,感染症のより効果的な治療と再発防止が行えることを示唆している. なお,今回の糖との同時投与によるpersisterへの殺菌効果はアミノグリコシド系抗生物質でのみ確認でき,他の系統の抗生物質では(少なくとも今のところ)そういう効果は確認できなかったそうである.(2011.5.12)

 

3. 分子への配線

"Chemical Wiring and Soldering toward All-Molecule Electronic Circuitry"
Y. Okawa et al., J. Am. Chem. Soc. (2011)

整流作用などを持つ分子素子はそれなりに研究が行われているが,さてではそれらの素子をどうやって配列し配線しようか,ということになるとどうにもならない状況が続いている.そんな中,分子に配線しましたよ,という論文がこれ.とは言え結構微妙.

元々,基板上に整列させたジアセチレン化合物(R-C≡C-C≡C-R)は,光やSTMからの電流などの刺激により重合が始まり,連続的に繋がることでポリアセチレン構造を持つ1次元導電路を形成できることが知られている.つまり,
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C≡C*-C≡C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
と並んだところの*印を付けた部分を励起すると,
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
R-C≡C-C≡C-R
 
を経由して連鎖的に結合交代が進行していき,
 
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
     /
R-C-C=C-C-R
 
とポリアセチレン鎖が出来るわけである.

今回の論文ではこのジアセチレン単分子膜の上にさらにフタロシアニン分子を乗せ,近くをSTMで励起するとポリアセチレン化が進行,フタロシアニンの下部にまでこの反応が進行すると(ジアセチレン化が先に進む代わりに)フタロシアニンとの結合ができ,その結果ポリアセチレン導電路の先にフタロシアニンが結合した,いわば分子素子を導線で繋いだ構造ができましたよ,ということが報告されている.

いや,面白い試みだとは思うのだが,出来ればそうして作成した端子付の分子の両端をさらに引き出して導電性を測るとか,そういうプロパティまでやってから論文にして欲しかったというか.
正直なところ,フタロシアニンと結合する以外の部分は既知であり新規性はあまりないこと,また実用上から見ても結局配線は一方向にしか伸びないし,素子の配列にはSTMで分子をうまく動かさないといけないから使える局面が限られること,など,正直に言ってしまうとJACSに載るほどか?と疑問はある.
ただまあ,Supporting Infoのムービーは良くできている.このあたりプレゼンの勝利だなあと思わないでもない.(2011.5.10)

 

2. 段階的ナノワイヤ成長による色素増感太陽電池用電極の作成

"Multilayer Assembly of Nanowire Arrays for Dy-Sensitized Solar Cells"
C. Xu, J. Wu, U.V. Desai and D. Gao, J. Am. Chem. Soc. (2011)

色素増感太陽電池(DSC)は昔から「次世代の太陽電池」としていろいろ研究は行われているものの,なかなか日の目を見ない技術である.というのも全般的に効率が低く,またある程度効率の高いものは高価なRu系色素を用いているためであり,また当初言われていた「フレキシブルな太陽電池が作れる」というものも無機系太陽電池の薄膜化などで利点ではなくなってしまった.
とは言えいつか来る(かも知れない)DSCの時代に備え,様々な研究を行っている人々はまだまだいる.今回の論文もそのような研究の一つである.

DSCの効率上昇にはいろいろな要素が必要となる.例えば色素の吸着量であるとか,色素自体の効率,電極の導電性などであるが,電極付近でのイオンの流動性も重要である.DSCでは効率を上げるために多量の色素を電極に吸着させる必要がある.そのため多孔質なTiO2がよく用いられているが,今度はあまりにも穴が狭いため分子の流動性が悪く,効率が落ちる原因ともなる.どういう事かと言えば,DSCでは色素の吸収した光のエネルギーで溶媒中の分子を酸化還元するわけであるが,色素によって酸化された分子はできるだけ速く遠くへ(というか反対側の電極へ)拡散していって,代わりに次の未反応の分子がやってこないと次のサイクルが回らない.そのため,分子を吸着できるだけの大きな表面積を維持しつつ,溶媒と分子の流動性の高い構造が求められるわけである.
そのような構造の一つに,ナノワイヤが林立した剣山状の構造がある.ナノワイヤが十分長ければ多量の色素を保持できるし,1次元方向には空間が伸びているのでイオンの移動もし易い.しかしこのような構造は作るのに困難が伴う.というのも,ナノワイヤといっても長くするために成長時間を長くとると太さ方向もじわじわ成長してしまい,最終的には隣のナノワイヤと融合してしまうためである.今回の論文では,ワンステップごとにナノワイヤの成長を止める事でこの問題を解決している.

まず,ZnOのナノワイヤを基板から剣山状に成長させる.ほどほどの長さ(と太さ)に成長したらそこで反応を止め,全表面をSAMで覆う.次に,紫外線によって発生させたオゾンで少し表面をエッチングするが,エッチング条件をうまく選ぶと上部のSAMは酸化して剥げ落ちる一方,ナノワイヤ側面のSAMが残ったような状況に出来る.そうしたらまたこの剣山状の上にZnOのナノワイヤを成長させる.すでに出来上がっている部分は側方がSAMに覆われているため太ることはなく,唯一空いている上にナノワイヤが伸びていく.これを繰り返すことで,ナノワイヤを太らせることなく,長さだけを成長させることが可能となる.
その後SAMを全て剥ぎ取り,(電極特性がZnOよりも優れている)TiO2で表面を薄くコートすれば大きな表面積と,高い溶液・分子流動性を持ち合わせた電極材料が完成する.

まあ電極の作成法としてはなかなか良さそうに思える.が,やはりRu系色素を用いているのは気にかかるところ.結局,もっと安価でそこそこ良い性能を持つ色素が開発されるまではDSCは厳しいのではないかと思う.(2011.5.10)

 

1. クロスリンクの生成によるDWCNTバンドルの強度上昇

"Ultrahigh Strength and Stiffness in Cross-Linked Hierarchical Carbon Nnotube Bundles"
T. Filleter, R. Bernal, S. Li and H.D. Espinosa, Adv. Mater. (2011)

カーボンナノチューブ(CNT)は軽くて強度が高い素材として知られるが,各種構造体への利用を考えた場合,長さが短いためにそのままでは利用できない.そこで樹脂などへの添加剤としての利用が模索(一部実用化)されている.ところがそのような利用をすると,コンポジット材料全体の強度はCNT自体の強度(と樹脂の強度)から予想されるよりも遥かに低い強度となることが知られている.この原因は主に,

  • CNTがバンドル(束になった構造)を形成していること
  • そしてそのバンドル「内」でのズレにより変形が起こること
に起因している.非常に強度の高い鉄パイプを何本も束ねた(けれども鉄パイプ間の繋がりは弱い)状況を考えて欲しい.両端を持って引っ張っても,左右で異なるパイプを持っていれば単にスライドしてズレてしまうだけである.曲げたときも同様に,個々のパイプは曲がらなくても,扇を開いたように異なるパイプが異なる角度に展開してしまえば強度も何もない.CNTの場合は隣接するCNT間でそこそこ強いファンデルワールス力が働くためここまで自由に動くわけではないが,それでもCNT内の結合に比べればCNT間での相互作用は格段に弱い.
つまり,コンポジット材料の強度を稼ごうと思えば,CNTがバンドルにならないように分散するか,バンドル内にも結合を作る必要がある.前者は例えばCNTの表面を化学的に修飾して分散性を高める,といった手法が使える.一方,今回の論文が報告しているのは後者の「バンドルをしっかり束ねる」という方法である.

そもそも,CNTやフラーレン類と言った曲面状のグラフェンからなる物体は,高圧下や電子線の照射により融合することが知られている(例えばこれこれ).グラフェンはπ軌道を持ち,これが平面と直交する方向に結合を作れること,電子線などにより欠陥が生じると,π共役での安定化を回復しようとして多少結合方向が曲がっている方向にでも再結合が行われること,などからこういった構造変化が起こる.
今回の論文ではこれを使っている.まず左右から飛び出た梁(ギリギリ接触していない)の中央に二層CNT(DWCNT)を置き,左右を梁に固定する.これを透過電顕に入れ電子線を照射し,左右から引っ張ってどの程度の力でどのぐらい伸びるか(引っ張り弾性率),どのぐらいでちぎれるか(引っ張り強度)を測定する.照射した電子線(電顕の観察用の電子線でもある)は加速電圧が200keVで照射量は0.5-15.5×1020 電子/cm2の範囲で実験を行っている.DWCNTを使った理由としては,電子線照射により外層に欠陥(これは結合の組み替えにより隣接するCNTとの結合に使われる)を生じても,内層が存在することにより引っ張り強度が保たれることなどが挙げられている.

結果であるが,無照射時のバンドルの引っ張り弾性率が30-60GPa程度,引っ張り強度が2-3GPa程度であったものが,照射量を増やすに従ってどちらも増加し(高照射領域側でやや飽和傾向が見える),最終的にはそれぞれ693GPaおよび17GPaと,ほぼ10倍の強度が達成された.これは電子線照射により隣接するCNT間に結合が生成し,個々のDWCNTが勝手にズレる事を防止していることに由来する.なお,この強度を元に,コンポジット化した際の強度を推定し,「現状でもすでに一般に使われているCFPRと同等の性能が期待でき,さらに条件を最適化すれば上回れる」というようなことがSupporting Infoに書いてあるが,まあさすがに現段階では絵に描いた餅でしかない.

電子線照射はなかなか量産面では難しいものではあるが,CNT間に結合を作ってバンドルとしての強度を高める,という方向での研究に期待が持てる結果となる.化学的,熱的手法のような大規模化しやすい手法でバンドルを強化するような取り組みも行われると思われる.(2011.5.7)